さき程述べたように、『スッタニパータ』第四章、第五章が最古層に属するということが研究者の大方の意見である。実はこの第四章、第五章の中でも後世に挿入された部分もあるようだ。これら疑わしい所をどんどん除いていかなければ、ブッダが語ったことにアプローチすることは難しくなる。
  ブッダが亡くなった後、ブッダが語った内容は論理的に整理されボリュームも増した。ブッダが語った内容を骨とすると、それに肉付けがされたのであるが、変更が加えられた部分もある。例えば第四章839にある「戒律」が後にどう変わったのか見てみよう。
 
  教義ではなく、天啓でもなく、知識でもなく、マーガンディヤよ、と世尊
 また戒律でもありません。それらによって清らかになるとは説かない。また教義、天啓、知識、戒律がないから清 らかになるとも説かない。これらを捨てて取らず、寂静であって依存することなく、生存を熱望してはならない。(Sn.839)
 
 「戒律」については、「戒律を守っている」ということに自分の心が依存してはならない。反対に「戒律はいらない」ということにも依存してはならない、という意味である。
 これに対し第三章547の後ろの部分を読むと、ブッダの言葉として「‥‥‥完全な戒律を受けさせて、修行僧となるようにさせる。‥‥」という言葉が出てくる。第四章839の方が古層にあるので、この547以降の一連の文章は、後に追加されたものであろうという判断になる。スッタニパータの中においてもこのように変遷が見られるのは、ブッダの死後、弟子達にとって「いかにしてサンガを維持するのか」という問題があり、そのひとつとしてこのような内容の変更に表れたと見ることが出来る。そしてサンガ自体も「修行者の〈依りどころ〉」に変わっていくのである。(2009.4.15)



 ブッダは果たして何を語ったのか、『スッタニパータ』以外に参考になる資料は何があるのだろうか。『スッタニパータ』が最古層に位置するのでなければ、時系列の中で前後の資料を当たれば、「変化の流れ」を見ることができる。ところが『スッタニパータ』第四章、第五章は現存する経典の中で最古である。このため事情はかなり違ってくる。私たちに可能なのは、ブッダが生存していた時代と同じか、それ以前の資料を見ることで、ブッダの思想への影響を見ることぐらいである。ウパニシャッドでいえば『ブリハド・アラーニヤカ・ウパニッシャッド』『チャーンドギア・ウパニシャッド』がブッダ生存前にあったと言われている。ただ、ブッダはバラモンに対して、批判的な側面があったということを忘れてはならない。ウパニシャッドとの関連については「dharma」の意味を交えて後述したい。(2009.4.15)

 

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