ゴータマ・ブッダは紀元前500〜400年頃に生まれ80年間生きた。 研究者の間で生年に100年程の誤差あるが、もともとインドには正確な年代を記する習慣はなかったから、 むしろ100年程度の誤差ですんでいることは驚きでもあるといわれている。
 ゴータマ・ブッダは「仏教」の創始者ということになるのかもしれないが、ブッダ は、 自分が教祖となり〈「仏教」という宗教〉を興すことを意図してはいない。 彼の言葉には、宗教一般に見られる「教義」を見い出すことはできない。 むしろ「私にはこのことを説くということがない」(スッタニパータ)という言葉が示すように〈概念や教義の構築〉とは 反対の方向を目指している。
 ブッダの死後、弟子達によってブッダの言葉がまとめられた。さらに時代の流れと共にその当時の社会環境やほかの宗教、思想の影響を受け、変化してきたが、発祥の地インドでは13世紀に仏教は衰退した。仏教の外国への伝播には中国への北伝と南アジアに広がった南伝とがある。日本では北伝により仏教が入り各宗派が確立した。
 何を指して「仏教」というのか、議論されるところであるが、紀元前後にぼっ興した新しい仏教(大乗仏教)は『スッタニパータ』に比べ、時空間の拡がりやお経の規模の拡大などが目につく。その内容に目を通 すと、『スッタニパータ』の内容をそのまま増幅させたようなものもあるし、異なる部分もある。概念的に要約され、隠れてしまったこともある。私達がすでにもっている仏教についての知識を一旦取り払い『スッタニパータ』を読み直してみると、そこには、2500年の間に忘れられていた智慧があることが分かる。(2004.6.18改訂)



 もともとブッダは何を語ったのか、その時代に一番近い仏典とは何であるのか? 最近の研究では、もともとブッダが弟子達にしゃべったのはマガタ語で、それが口伝で残され、紀元前一世紀頃、パーリ語に置き換えられといわれている。パーリ語は南伝において口伝で流布したのであるが、19世紀、イギリスでローマ字表記にあらためられたパーリ語聖典(PTS:Pali Text Society)が、刊行された。それは今日でも研究者によく読まれている。そのパーリ語聖典の中で、古層にあたるといわれるものに『スッタニパータ』、『ダンマパダ』、『サンユッタニカーヤ』がある。中でも『スッタニパータ』の第四章、第五章は特に古いといわれている。
 詳しくは中村元博士が『ブッダのことば』(岩波書店発行)の後に、解説されているので、興味のある方はお読みください。 最後になったが、『スッタニパータ』はパーリ語のsutta-nipataをカタカナ表示にしたものである。suttaは「お経」、nipataは「集まり」だから、「経集」という程の意味になる。
 私たちは、たかがこの30年だけを取り上げても、多くを学んで来た。その中で重要なことの一つに次のことがある。どれほど優れた論理体系でありイデオロギーであっても、「私たちのこころ」は、論理を構成する言葉の枠に入ることをよしとはしないことだ。論理体系だけでは、自分のこころは何も解決され得ないことに気がついてきた。 
  この2500年も前のブッダの言葉(『スッタニパータ』)にはそれらを解く道筋がある。(2009.4.14改訂)

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