自分の扉を開けるのは誰か? |
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自分しかいない。 |
扉の鍵は誰がもっているのか? |
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自分である。しかし「鍵」として所持している訳ではない。かといって「開けゴマ」のような呪文でもない。
その鍵は自己観察である。 |
どんな観察なのか? |
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自分に起きた出来事(迷い、悲しみ、苦など)の記憶を戻し、推移観察する。 |
もともと、見ると観察とはどう違うのか? |
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通常、私たちが「見る」のは、「先入知識で物事を見る」ことを指す。その知識を叩き込まれるのが、日本の小学校、中学校の授業と言われているものである。芸術、体育系を除いてほとんどがこれである。
観察はそうではなく、先入知識なしで見ることである。思考や判断はその後で行なう。 |
ブッダが覚った時に行なった観察はどんなものですか? |
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アヌパッサナー(anupassanā)と呼ばれるもので、筆者(岸本)は「記憶の推移観察」と呼んでいる。医療の現場では経過観察という観察を行なうことが多いが、これは治療を行なった後、患者が改善に向っているかどうかを観るのだ。
ブッダの場合は現在の状況に至った原因を、記憶を辿り、遡っていく。 |