2020年02月16日日)   <<BACK>>

自分の扉を開ける

自分の扉を開けるのは誰か?
 —— 自分しかいない。
扉の鍵は誰がもっているのか?
 ——

自分である。しかし「鍵」として所持している訳ではない。かといって「開けゴマ」のような呪文でもない。
その鍵は自己観察である。

どんな観察なのか?
 —— 自分に起きた出来事(迷い、悲しみ、苦など)の記憶を戻し、推移観察する。
もともと、見ると観察とはどう違うのか?
 —— 通常、私たちが「見る」のは、「先入知識で物事を見る」ことを指す。その知識を叩き込まれるのが、日本の小学校、中学校の授業と言われているものである。芸術、体育系を除いてほとんどがこれである。
観察はそうではなく、先入知識なしで見ることである。思考や判断はその後で行なう。
ブッダが覚った時に行なった観察はどんなものですか?
 —— アヌパッサナー(anupassanā)と呼ばれるもので、筆者(岸本)は「記憶の推移観察」と呼んでいる。医療の現場では経過観察という観察を行なうことが多いが、これは治療を行なった後、患者が改善に向っているかどうかを観るのだ。
ブッダの場合は現在の状況に至った原因を、記憶を辿り、遡っていく。

 



 

 

2020(c)KISHIMOTO Masaharu
wai