2019年03月28日(木)   <<BACK>>

FB 3月25日

「スッタニパータ」の解説(3)

  1115番の解説をするつもりが、まだ単語にタッチできていないので、これから行なうことにします。
 FBに掲載したわたしの訳で他の訳者と大きく異なる単語がある。それは abhiññāだ。中村元先生は「知って」(連続体)としており、その他、宮坂宥勝氏は「認識して」(連続体)、村上真完氏は「知って」(連続体)としている。
 abhiññāはabhi-ññāと分解できる。前のabhi-は接頭辞で、ññāは本体である。abhi-以外にさまざまな接頭辞が付いて、多様な意味を表わす。だから「知って」だけでは正確な意味は伝わらない。
 abhi-はサンスクリットも同じであり、意味は「向って」「超えて」「大いに」で、ññāは「知ること」だ。すると「超えて知る」という直訳になるが、これもこれだけだと、何をどうするのか分らない。

 前回は、「記憶を遡って、観察する」についてわたしの体験談を述べたが、少し整理をすると、大きく、二つの段階がある。
1.まず現在ある「迷い」「苦しみ」の記憶をたどって、その源泉地までいくこと。すると「消滅」が起きる。
2.「消滅」に対し、それで間違いないか、今度は源泉地から逆に現在のわたしまで、順に戻って確認すること。

 「消滅」だけではなく、逆コースを辿り確認する。つまり、〈自らが自らを証明する〉という点が大きな特徴だ。
 こうして、わたしは、abhiññāを「自らを証明し知ること」という訳にした。おそらく、ブッダが生きていた時代は、ブッダが長年に渡る弟子達にabhiññāと言えば、何を意味するのか、伝わっていたと思われる。

 

▲近所の空き地の隅に咲いたラッパスイセン。毎年、今の時期にこの二輪が咲く。自然の偉大さが伝わってくる。

 


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