2019年03月25日(月)   <<BACK>>

FB 3月25日

「スッタニパータ」の解説(1)

 今日(3月25日)紹介した句は1115番です。
 この句だけに限らず、短い文中に重要なことが詰め込まれている場合が多く、直訳しただけでは何を言っているのか分らない場合がたくさんある。当然、補足しながら訳す、つまり意訳になっていくのだが、自然と、大きく脱線することは避けたい気持が働く。

 実はこの1115番は仏教の根幹を述べた内の一つである。「覚り」ということと、「覚って」どういう心の状態になるのかが、短い文章の中に、圧縮されて書かれているのだ。
 ここ以外にも1051( 5.メッタグーの質問)にも少し出ているが、覚りの推移が載っているのは、4章、5章の中ではここだけだろうと思われる。
 実は「覚り」について詳しく書かれているのは3章の「二種の観察」のところである。724〜765番までの42句あり、いろんな方法による「二種の観察法」が説かれている。ところが、研究者の間では、4章、5章に書かれている中に、ブッダの言葉にかなり近いものが多く含まれているというのが、定説になっている。
 1章、2章、3章の中にも古いものがあるが、4章、5章とは内容の傾向がかなり異なる。この件について述べると長くなるので、別の機会に述べることにする。
 では3章の「二種の観察」はというと、いろんなやり方が順次述べられていて、記述満載なのだ。そういうスタイルは後年に生まれた「サンユッタ・ニカーヤ」に近い。
 42句中冒頭の724〜727の4つの句、および前説部分を読めば充分である。4章、5章と比べ、分りやすく述べられている。
                      (つづく)

 

 

▲八幡神社(六甲)のツバキ

 


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