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2011年09月27日(火)   <<BACK>>

爽やかに楽しく坐る

 この数日前から、朝夕はめっきり秋らしくなってきた。動きやすくなってくると、「あれもしなければ」「これも‥‥‥」と頭の中が慌ただしくなってきそうだ。
 「今やっていることに意識を向け、確認しながらスローに行う」。このことを忘れていないか自問している。
 「今やっていることに意識を向ける」。これはまるでダイヤモンドである。でも私たちの日常は目の前のダイヤモンドを捨て、どうでも良いゴミを一生懸命集めることに奔走している面がある。

 皆が集まって行われるヨーガや坐禅は《例示》であるということだ。後はそれを自分の日常生活の中で工夫をしたり、集中したりすることだ。家では習ったこととやり方が変わってもよいわけである。「自分のヨーガ」「自分の坐禅」をしていかないと、自性は育っていかない。 
 また、「爽やかに楽しく坐りたい」という自性から、一旦はずれてしまうと、元に戻るのはそう容易ではない。だから「こうではなかろうか」と、突然湧いてきた疑問やヒントに対し、「これは邪念である」として直ちに無視したり、捨てたり、抑え込もうとしないことだ。
 その突然出てきた気持ちや想いを観察してみるのがよいだろう。
 自分のこころ(想念)をよく確認せずに捨ることが増えて来ると、その反動は必ず来る。底の方でストレスが溜まり、お酒を手放せなくなったり、葛藤を抱え込んでしまう。しかも具合が悪いことに、ほとんどの人は自分の瞑想や坐禅の仕方に原因があるとは見ないことだ。
 
 自性が大きくなるにつれ、自分を観察する目を養うことができる。これも楽しい。

※自性:ここでわたしが使う意味は「こうありたい」という純粋な自分の気持ちのことである。

日が短くなって、もう夕刻だ。
Sep.27,2011,in Kobe
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