2011年06月26日(日)   <<BACK>>

全体主義に陥らず

 昨日あたりから本格的な暑さがやってきたようだ。上着を脱いで家を出た。
 
  東北地方はまだまだ我慢の時が続いているようだ。「東北がんばれ!」という言葉に、「地震と津波で何もかも失っていて、さらに何をがんばれというのか」という被災者声を以前、TVで観た。まさしくそのとおりである。阪神淡路大震災の時、毎日が瓦礫の風景しか見えない中で、「がんばれ!」という言葉はこころにとどまることなく、すぐに抜けていったことを思い出す。
 一方、「日本がんばれ」とか「日本はひとつになろう」というフレーズもちらほら目に入る。
 これは一体何だろう。胃の中で充分消化出来ないのだ。「東北がんばれ」と似ているようで、まったく異なるようだ。東北のため日本中の人が支援しよう、という意味で使われていると思うが、「日本」という言葉を入れることで、「日本人ならこうすべき」という義務的な色彩を帯びてくるように、筆者は感じるのだ。
 少なくとも、マスコミからこのような論調の記事が出ないことを願っている。地球上に生き長らえていくために人それぞれの個性、思想がいかに大事であるかということだ。
 
 

June.25,2011 1:50PM in Kobe
docomo F-088


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