実はすべて、このことに尽きてしまうだろう。
仮に、100万冊の本がシーソーの一方に乗っていても、「わたしを問う」という
ことには敵わない。
自己を探求することが望まれる。しかしこれでさえ「自己探求」という言葉と概念で対象化(外へ向うベクトル)されてしまいやすい。どうも人間というのは、すべての物事を思考の支配下におきたいらしい。
そこで「そのわたしを問う」ことを即、実行することをおすすめしたい。
一日に二、三回でもできればよい。それに慣れてくると、自我主張が強く出たすぐ後に「そのわたしを問う」ことができるようになる。
そして、虚構の世界を自我が作り上げていることがよく分かるようになる。
虚構の世界の代表格が「二元的見方」である。「あれかこれか」という判断を伴うものであるが、果たして二元がこの地球上のどこにあるというのだろう?
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Nov. 6,2010 1:16PM at Daijoin in Nara
F-08B 131628
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