2009年12月30日(水)   <<BACK>>


坐ると、さわやかになる(2)

 このように述べていくと、「まったくどうでも良いような坐り方」をわたしが推薦しているように、皆さんの目には映るかもしれない。確かに、1分だろうが1時間であろうが好きな時間坐ればよいのだ。むしろ終わった後が大事である。
  「さあ、〈坐る〉という朝の予定は無事完了した」ということで晴れ晴れとした気持で区切りをつけてしまうと、芽吹いた大事な心を捨ててしまうことになる。これでは「坐る」ことが「リクリエーション」に化けてしまうのだ。
  坐った後外出して、普段気がつかなかった草や木に目がいき、見つめることでさらに坐りたいという気持になったら、そういう気持を昼まで保持していくようにする。保持するのは一見むずかしそうに聞こえるかも知れないが、実はそうでもない。TVのニュースやドラマ、新聞などは心を散乱させるので昼まで見ないようにする。ただそれだけである。
 そして具体的にはどうなるのか。想念を止めようと思えば止められる。もちろん次の想念が湧いてくるのだが、想念と想念の間が長くなる。また、一つの想念から次々連想されることも少なくなる。もしそのようにならなくても、坐りたい時間坐るということを続けそれを楽しめばよい。
 仕事に従事している場合は、人と接することが多くストレスも溜りやすい。家に帰って簡単な体操をしながら身体の動きをイメージの中で注視する。またヨーガでいうカパーラ・バーティ(出す息に意識を向けて速く繰り返し行う)や深くゆっくりした呼吸をするとよい。そして寝床にあっては「明朝、坐る」ということや「想念」と「想念」の間の自分に思いをはせてみる。これは遠足に行く前日の子供のようなもので、楽しみながら寝ることでもある。

 5月から冬眠に入り12月の終わりになって突然覚めた。この間、世界や日本ではさまざまなことが起きた。来年も穏やかであるとは思われないが、皆さんにとってよい年であるよう祈りたい。

→年末になり人も少なくなった。静かだ。(2009.12.29撮影)

 


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