2009年12月29日(火)   <<BACK>>


坐ると、さわやかになる(1)

 朝、少しでも坐ってみるのがよいだろう。
 坐るというのは人類にとって普遍的なことで、決して特別なことではない。誰でもが簡単にできることである。
 坐って静かになってみたいけど、ちょっと雑然とした部屋を片付けなければと思ってしまうと、いつのことになるのか分からない。坐ってみたいと 思った時はすぐに坐ればよい。坐り方?伝統的な坐り方であるパドマ・アーサナやシッダ・アーサナ、あるいは坐禅の結跏趺坐や半跏趺坐ということになるが、そんなことにこだわってゴソゴソしている内に「坐っていたい」という気持はどこかに飛んでしまい「これからやるのだと」という身構えた別の気持が生まれる。身構えた気持は決めた時間を一定の姿勢で保つことに専有されてしまう。
 そういうことでは「坐ってみよう」と発せられた気持をそのまま実行に移すことはできない。ではどうすれば良いか。
 まず半畳から一畳の空地を作る。後は折った毛布をそこに置けばよい。まわりが片付いているとかいないとか、思わないことだ。坐り方などどうでも良さそうだが、横座りは背骨が歪んでくるので避けた方がよいだろう。膝や腰が悪くなければ正座で充分である。先ほど伝統的坐り方を言った。それに慣れているのならもちろんそれで良いのだ。確かにパドマ・アーサナで足を組み、両手で印契を示し、背中を伸ばしている姿は、いかにも静寂を示し深い瞑想に入っているように見える。もしそういう姿に憧れて坐るのだったら、少し違う道に入ろうとしていると知るべきである。アーサナは決してパフォーマンスではない。
 また、椅子は長時間になると血行不良になりやすいので、その点は注意すべきだろう。坐っている時間も最初から決めない。1分であろうが1時間であろうが構わない。 例えば30分坐ろうと最初に決めたとしよう。それを20分で席を立つと「今日はうまく坐れなかった」と思ってしまうかも知れない。これは先ほど言ったように「坐りたい」が「30分坐り続けなければならないに」に変心してしまっているからである。

→2009.12.29撮影

 


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