2008年08月13日(水)   <<BACK>>

二枚のスケッチ

 昨年、この場でブレッソンの写真について少し書いた。彼の写真を見る事で、私の中で写真についての捉え方が定まったのは間違いない。
 1989年秋開催されたアンリ・カルチエ=ブレッソン展(阿倍野近鉄百貨店)を見た時がその契機となった。また彼の現物を見た最初でもあった。その後、伊丹や美術館「えき」KYOTOなどで、ブレッソンの写真展があり、見に行ったがそれほど感銘は受けなかった。
 展示される写真にはふさわしい大きさとマット領域がある。プレッソンの写真は小さすぎると、写真が呼吸できずに苦しんでいるように感じる。それを見る側から言えば、目に力をいれないと、見えないということだ。写真展へ行って目を凝らすというのは、あまりしたくはない。
 阿倍野近鉄百貨店の時は、写真とは別にスケッチも幾らか展示されていた。その中で動物園をスケッチしたものがあった。ほとんど良く似た二枚のスケッチが横に並べられていた。ブレッソンは動物園をスケッチするために、よく同じ場所に行っていたようだ。
 同じ場所から同じ対象をスケッチする。「描きたいと思う」心があればこそであるが、ここにブレッソンの本質がある。昨日と同じ対象をスケッチしても、彼には全く新しい対象であるということだと思う。それほど、彼の心(感受性)は新鮮で微細であったということだろう。この点で、彼の写真はスケッチと何ら違わない。
 アイデア、構図、これらは写真を撮る人についてまわることである。ブレッソンの写真についても、アイデアや構図が抜きんでいると評論する人もいるが、それらは彼の本質的なことではない。
 

 


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