周り一面に緑に囲まれ、清々しい気候である。これからゴールデンウイークが始まるが、この間に木々は夏への衣替えを少しずつ進めていくのだろう。
わたしを通して真理を見る。
さらに
わたしの中に真理がある。
さらに
「わたし」の中にのみ真理がある。
この時の真理は、自分の本来の姿、そして世界の本来の姿というほどの意味である。
自己を見つめることと、客観的真理を追求していくことの関連性を言う人は少ない。しかし自己を見ないで客観的真理を探求する試みは、自分の世界を作ろうとすることでしかない。
ブッダは己の世界を形作るものに、「名称」と「形態」を取りあげている。実は、この真理という言葉でさえ、その言葉に執着したり、依存することで、自分の世界を作る要素となってしまうのだ。そして議論の対象にもなってしまう。私たち人間には、そのような傾向性がある。
それゆえ、ブッダはニルヴァーナ(消滅)については、解説はしていない。どんな形であるかとか、どんな色であるかとか‥‥。
ゼロはゼロであり、「ゼロが有る」というのは私たちの理屈である。心のことを数学的思考であてはめることには無理がある。
これからの私たちが進む道?
「わたし」の探求以外にはない。「わたし」をよく見ることである。
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