2008年02月11日(月)   <<BACK>>

もう一つの満たされ方

 つい一週間ほど前は暖かい日もあり、なるほど立春とはよく言ったものだと思ったが、ここ数日はまた寒い日に戻ったようだ。2日前は雪が降った。このように二月は冬と春が引っ張り合っているような月である。私ももう少し暖かくなってほしいという気持ちはあるが、反面、このような時期にこそ、しておきたいことがあると思ったりもしている。
 右の写真は2月5日に須磨の海岸で撮ったものである。日差しが柔らかく、波打つ音が心地よかった。
  昨年の12月末あたりから仕事が忙しくなり、ようやく少しゆっくりできるようになってきたところである。しかし、心全体の調子はあまり良くはない。いままでダイアリに掲載した写真はそのダイアリの日付に撮ったものであるが、今回はそうはいかなかった。以前にもこのダイアリで書いたことであるが、目的意識が強すぎると、大事なことを見落とすようである。大事なこと?それは「今の自分」である。
 仕事には終えたときの達成感や解放感がつきものである。私は例年、この時期には1ヶ月少し忙しくなり、終わった後の達成感はある。しかし反面、自分のことについて、目を向ける機会が断然と減っていたことにも気がつく。このように終わった後の達成感と反省が混じるのがこの時期である。
  ただ毎年、同じ繰り返しをしているのかというと、そうでもない。少しずつ仕事に向うときの姿勢が変わりつつある。人に作ったデータを渡す日にちが少なくなっても結構平気で、比較的落ち着いて、集中させることができる。これはむしろ年齢がいったからこうなったとも言えるわけだ。体を素早く動かすことが苦手となりつつあるから、自然と自分の体に合わせようとしているのかもしれない。その分、人と妥協点をみつけることがうまくなった部分もあるだろう。
 今回、仕事にかかり始める前、ひとつのことを自分に課した。それは決して徹夜はしないことだ。徹夜をする背景には自分の強い意志がある。「絶対にここまでやる」という意思だ。「絶対に」「倒れてもやる」というのは一見、当たり前のようであるが、そもそも「強い意志」とは何であるのか。「強い意志」「強力な自我」。大きな岩の固まりのようでもあるが、案外、ハリボテかも知れないのだ。
 
 

 


 興奮、集中、感激、満足、これは仕事でなくてもスポーツの観戦やゲームなどでもあることなのだ。興奮、集中、感激、満足、その一方で終わった後の虚しさ、疲労を感じることがある。あるいは感激したことをテープレコーダのように自分の記憶から取り出し、感激を再現し、そこに浸る。そして我に返ったときの後ろめたさを感じることもあるだろう。
 そのような時、心のプロセスを観察する。すると没頭し執着している時には味わうことができない、別の新鮮な満足を感じることになるだろう。
 必ずしも強い意思によってのみ、困難を克服できるとは限らない。「何が何でも、対象に立ち向かう」という姿勢がなくても、少しの日差しの中に、充実感を得ることはできる。対象物がなくても、ちょっとのことで心は程よく緊張したさわやかな感じに満たされる。
 

 

 


 

 


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