2007年10月18日(木)sutta-nipata   <<BACK>>

チャーチャンの死

 14年間飼っていた猫が死んだ。10月15日午前2時55分であった。名前は「チャーチャン」という。
  亡くなった猫の姿をきれいに整えてから、食堂の椅子に座った。もう一つの椅子に足を投げ出して、朝まで暗闇の中でボンヤリとしていた。
 一瞬にして生から死に変遷したチャーチャンが非常に可哀想だと思った。もっと元気な時の姿を思い出すとよけいに可哀相だと思う気持ちが募ってきた。その気持ちが私の心を一杯にしてしまいそうであった。
 しかし、そのような気持に対し、一方で疑いも生まれた。可哀想であるという気持ちは私のわがままではないかということだ。仮に自分の想いに自分が正直に従い悲しみにくれても、そのことで人から責められることは何もない。だからと言って果たしてそのような気持ちの中にいるだけで良いのだろうかという疑問である。
 可哀想だと思う時、そこには死んだ相手を思う純粋な気持ちがあるようだが、純粋であるとは限らない。むしろ相手のことを無視して、相手を思う自分の心を最優先させようとするところがあるのではないか、ということである。
 一見、相手のことをよく思っているようであるが、自分の中にある寂しさを、死んだ相手を思うことで満たそうとしているのではないだろうか。
 さらに、付け加えるなら、自分がいずれ「死」に直面するということを忘れてしまい、恒常的な立場で相手の死を観ているいやらしさがある。これは、自分勝手で極めて不公平である。相手を可哀想だと思う。では自分はどうなんだろう。この問が欠落しているのだ。
  長く飼っていた猫が死んだ。可哀想だとばかり思い続けているのなら、それはまるで人生の敗北者ではないのか。私が死ぬまでの間、何をするのかどのように生きるのかが唯一、自分の存在を明らかにするものであり、それに代わるものはない。
 チャーチャンが死ぬほんの三分前まで、私は老衰した体をなぜていた。「今度は一緒に仕事をしよな」と言いながら。
  想いに浸り過ぎないように気をつけながら、前へと歩む。今の私にはただ「努力」という言葉しかないようだ。

元気な頃のチャーチャン(右上)
 阪神淡路大震災の4ヶ月前に、家の近くを車で走っていて、前方、道の真ん中にいた。ハザードランプを点滅させ、車から出て手に乗せた。それが出会いであった。
 片手にすっぽり入る大きさで、両目は目やにで潰れ、何も見えていない状態であった。全身が濃いグレーで、特に背中は濃い帯模様になっていた。最初は不思議な模様があると思ったが何のことはない。無数のノミにたかられ、そのノミ糞が黒い帯を形成していたのだ。

 

                    

大変ないたずら好き、遊び好きで、それが私たちの命を救うことになった。寝ている時に髪を細い爪でブラッシングしてくれるのはよいのだが、痛いので夜の間だけひもをつけて、それを寝床近くの洋服タンスの取っ手にくくっていた。さらに前足が届かないように布団を下へ50センチほどずらせていた。震災でその洋服タンスは頭から10センチのところに倒れた。もし布団をずらせていなかったら、確実と洋服タンスの下敷きになっていたであろう。
  チャーチャンは怪我なくうずくまっていた。本棚などおよそ立っているものがほとんど倒れた中で、チャーチャンはどのようにそれらを回避していたのであろうか。

▲チャーチャンが亡くなって、2時間半ほど経った5時40分頃、夜が明け始めた。最近、曇りの日が多かったが、晴れたさわやかな朝であった。この日からめっきり秋らしくなってきた。

 

 

 

 

 

 

 


2007(c)yamaji-kan