2007年2月12日(月)sutta-nipata   <<BACK>>

ホテルの部屋
ー夕刻ー

 この8、9日と仕事で東京に行った。8日の昼間は人と会っていたが夕刻からの予定がキャンセルになったので、21Fのホテルの部屋に戻り、ベッドの上で仰向けになっていた。
 窓から西日が射していた。全く静かであった。この空間、この時刻、ここには何かを目指しているものはなかった。ただこの空間のためだけに、この空間がある。この時刻のためだけにこの時刻がある。それに比べると人の計画、意図はいかに稚拙なものなのだろう。

 今日人に会うことが二度あったが、それぞれ30分から1時間程度であった。コップにお茶を入れるように、溢れることもなく少なすぎることもなかった。二杯目、三杯目を求めることもなかった。それは大変よかった。

 今、静かに、全てを顕している空間に身を置いている。何の予定もない。空間は全てが達成されていて、ここに「在る」のだ。
 過去、人は一生懸命、外を探し廻った。西欧では大航海時代もあった。しかし、本当に求めるものはすでに在ったのだ。
 そういうことを忘れ、ひたすら自我の実現を外に求めたのだ。精神的に生きるとは何かを忘れ、思いの実現のために物質や見えることを求めて東奔西走してきた。
 人はこの世界を地球をどうしようというのだろう。いや、そもそも自分をどのようにしたいのだろうか。人間が「意図」をもって何かをするのはよいが、動きがあれば、波紋もある。また反作用的なことも起きるだろう。意図があるなら、そういうことまで、頭をめぐらさなければならない。
 私はこのようにつれづれ思いながら、「どのように生きていくかを真摯に考える人が、これから増えるていく」と、確信したいのだ。

→すこしずつ、日が落ちてきた。今日、自分の中に大きな波風がないのは幸いであった。モノと歓声、喜びに引きずられることがなかったのは良かった。


2007(c)yamaji-kan