2007年2月04日(日)sutta-nipata   <<BACK>>

風化すること
ー震災の記憶ー

 先月の17日で震災後丸12年が経過したことになる。新聞の記事などで「あの経験を風化させない」といった活字をよく目にする。
  「風化する」とはどういうことなのであろうか。あの阪神淡路大震災は、「風化するとは何か?」という課題を私に与えてくれた。その課題を毎日意識しているわけではないが、1月17日になると、さまざまな当時の思い出とともに私の中によみがえってくる。
  どんなに悲惨なことがあっても、時が経つと少しずつ記憶から薄れる。これが風化するということなのであろうか?もし、これを風化というなら、生々しくかつ詳細に当時のことを記憶しているということが「風化しない」ことになってしまう。いや、これはPSDの入口に立つわけで、本人の日常生活そのものが困難になってくる。
 そう考えると 記憶が薄れることはむしろ自然であり、風化とかいわれるものではない、と私は思うのだ。当時の見たままの光景から学び、考え、悩み、そして自分の「生き方に活かす」こと、これが風化しないことになるのだ。この活かし方は人によって様々である。「様々」、それがすばらしいと思う。精神の自立とはそういうことだろう。
 ボランティア活動やその他の対外的活動に積極的に関わる人もいるし、そうでない人もいる。どんな形にしろ、自分の生き方に対する問題提起、解決提起がそれぞれにある。強力な意思として強さを顕わす人も、静かな人もいる。
 私はカメラをもっているが、当時、自分の家の中、そして家の外観位しか写真に撮ることができなかった。「なぜ撮るのか」という動機が生まれなかったのだ。
でも、それが良かったのだと、いまでも思っている。
 不謹慎だと人から言われる以上に、余計なことで、自分の心へ向ける機会を失いたくはなかったからだ。毎朝起きても少しも変わることがない、崩壊した家々。目線をそらせても、そこには崩壊した家々しかない。救援のため、遠くから来てくれた代替バスの車窓から目に入る建物もやはり崩壊していた。悲しいという言葉は生まれなかったが、ただやりきれなかった。見開いた私の目には涙があふれた。このことに私自身が驚いた。悲しいという感情が先になくても、涙があふれることを知った。 この記憶はなかなか消えそうにない。

→寒い、暖かいの両方が入り交じった日が続いている。よく見れば人との少しの接触の中に善意がある。善意はとどまることなく、風のように去って行く。

 


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