2006年10月29日(日)   <<BACK>>

自分をみつめる

 それはいかなる本にも書いていないし、経典にも書いていない。それもそうで、その人の悩み、苦しみはその人固有のことである。
それ故、気のつき方も、気のつく時機も人によって異なる。
 いくら著名な先人が表した本があったとしても、参考にこそなれ、文字そのものに、今この瞬間から始まる自分の心のプロセスをあてはめることはできない。〈培ってきた土壌〉も〈問題を解こうとする方法や姿勢〉そして〈実際の心の探求〉は人によって異なる。解決させる全ての材料は外にはなく、それぞれの人の心の内にすでに揃っているのだ。
 そうは言っても、私たちは常に元気であるとは限らない。ちょっとしたコミュニケーション上でのトラブルで疲れることもあるし、肉体的な疲労を感じることもある。また、特に理由もないのに寂しさを感じる時もある。こういう時は〈心の探求〉自体も放棄したくなるだろう。それはそれで良いと思う。放棄すればよい、ついでにわき起こる思考の一切も遠ざけるのがよい。また娯楽によって気持ちをまぎらしたいと思うかもしれない。しかし、ちょっと我慢してみよう。そしてその寂しい心を見つめることに少しの時間を割いてみよう。
 実はこんな心の状態は極めて貴重なのだ。自分の心を成長させる機会でもあり、解放の一番近くにいるとも言える。湧き出るあらゆる想いを追いかけず、自分を寂しい人間だという枠にはめてしまわず、寂しさを感じた心の道筋、それだけをよく観るようにするのがよい。
 ほどなく、霧が晴れ、まわりが極めてよく見えるようになっている自分に気がつくだろう。その時のすがすがしさを記憶にとどめておこう。

→近くの公園である。私の気息が静かであるなら、草花の輝きと静けさを見ることができる。

 


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