2006年09月04日(月)   <<BACK>>

「わかる」ということ(4)

 「わかる」というのはどういうことなのであろうか?

 物事はそう複雑でもないのだ。複雑にしている自分があり、複雑だと思い込む自分がいるのだ。
 「複雑にしている」原因とは、二人そして三人の自分がいることだ。それが自己の問題、世界の問題を複雑にしている。
 「複雑と思い込む 」とは、自分以外の何かにその原因を追い求めているからそうなるのだ。仮に自分の中にその原因があると推測することがあっても、多くの自分がいるため混乱する。しまいには自分が本当に望んでいることが何かわからなくなるのだ。

→人を愛し、その人の歩幅でゆっくり歩く。生きとし生けるものを、自然を愛する。富を願うこともなく貧乏を貧乏と思わず、生きる。そういうことをできない人がどうして「国を愛する」と言えるのか。なんとも虚しい言葉である。

都会の中でも、ごく一部調和のとれた空間に出会うことがある。

 


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