先日、神戸のルミナリエを見た。
今年も大勢の人が詰めかけて賑やかであった。イルミネーションの下を歩きながら、阪神淡路大震災の年に初めて行われた最初(1995年)のルミナリエを思い出していた。
当時は今程の人数ではなかった。それでもあの時は「こんなにたくさんの人が来ているのか」と思ったものだ。不気味な程、静かな行進であった。聞こえるのは小さな音で流れるミサ曲と人々の足音だけであった。
顔一面にルミナリエの光を受けて人々の目は涙であふれていた。この光のトンネルを出れば、元の冷たい家に帰らなければならない人も多いだろう。時間で見ればほんの数十分だが、心に届くイルミネーションであった。
物理的なモノに心の恒久性を求めるのは幻想である。それがあの震災から得たことであった。その意識とつながるものがあった。
→今年のルミナリエは緑とピンクが印象に残る。観光に訪れた人を含め、思いや感想はさまざまだろう。それで良いと思う。一様の思いに集約されるべきではない。
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