2004年8月20日(金)   <<BACK>>

【訃報】
柳田侃(やなぎだ ただし)さんの死

 17年間おつきあいのあった柳田侃さんが先日、癌で亡くなった。柳田さんはもともと経済学者であった。
 1986年に途上国経済の研究のためスロベニア共和国の研究所に留学し、帰途インドに二ヶ月滞在した。そのときインド各地を廻り、インドに魅せられたと本人から聞いている。翌1987年には大阪大学名誉教授、佐保田鶴治氏が開山した日本ヨーガ・アシラムの門を叩いたが、そこでヨーガ教師であった松本一哉氏から近代の聖者といわれるラマナ・マハリシの著作物を見せられる。松本氏は以前からインド各地のヨーガ道場などを訪れていた。ラマナ・アシュラムも何度か訪問し、現地でたくさん本を購入していた。柳田さんに興味をもってもらうため、数回に分けて、持っていく本を選びながら合計10冊位 の本を家からもってきたと思う(そばにいた私の記憶)。 柳田さんはラマナ・マハリシに傾倒し始めた。
 日本ヨーガ・アシラムでは日曜日に行われる、朝の勤行、瞑想、朝食、勉強会に必ずといってよいほど顔を出していた。瞑想タイムの時には、ほかの人に気付かれないように、下の厨房におりて、朝食用のチャイ(インド紅茶)に入れるカーダモン(香辛料)の実をすりこぎでつぶす仕事をしていた。ゆっくりと丹念に。柳田さんにとってそれが瞑想だったと、私は思うのだが、その時何を感じ、何を想い、あるいは何も想わなかったのか、誰も分からない。
 ただ、カーダモンの実をすりつぶすように、その後、ラマナ協会の会長として、機関誌『アルナチャラ』の発行、勉強会の実施、本の出版という仕事に身を捧げることになる。一番新しい本は『不滅の意識』で、病室にはそのゲラが死ぬ まで置かれていた。そして出来上がったばかりの『不滅の意識』は8月18日告別 式の当日、東京から届けられ、多数の参列者の中、柳田さんの写 真の前に置かれた。

 柳田さん、本当にご苦労さまでした。

 →真夏日の朝、突然春のような景色に行きあたった。蝶が舞っている。

 


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