2004年7月22日(木)   <<BACK>>
ブッダが語ったこと(8)
ー解脱する 彼岸へ行く ニルヴァーナー

 

  『スッタニパータ』に出てくる「解脱する」「彼岸に行く」「ニルヴァーナ」、この三つの用語はどういう関係にあるのだろうか。 しかし『スッタニパータ』にはこの三つの関係については述べていない。いやその必要性などなかったのだろう。用語の定義づけをすることは、「本質のある一面 」しか見せないことになってしまうから、かえって誤解をあたえる可能性が大きい。
  人に言葉で伝える限り名称(用語)は不可欠なものであるが、こだわりすぎると哲学的見解に陥ったり、議論を招いてしまう。
  ここでは『スッタニパータ』から大体の意味を汲み取り、記すにとどめる。

 解脱する‥‥‥‥執着からの脱却
 彼岸に行く‥‥‥執着のない寂静の境地に行く
 ニルヴァーナ‥‥寂静の境地(自我の完全停止)

  このように、この三つとも「世界」とか「ビジョン」を表わすものではないことがわかる。さらに「能動的に獲得する」という意味さえ、見い出すことはできない。
  私達は何ごとにも、結果を得るために有効な方法をあれこれ考える。中には、結果 を得れば手段の違いなどは関係はない、という極端な見方をする人もいる。こういう見方をする人の多くは、ニルヴァーナを獲得できるものと勘違いし、さまざまな修行に励む。しかし、ブッダの言うニルヴァーナとは「自我の消滅」である。それは「獲得」ではなく「放棄」によって可能となるのである。今ある自分の心の姿を無視して、「修行」「戒律」という外側に心を縛り付けていくと、ニルヴァーナからどんどん遠ざかってしまう。 必要なのは自己を知ること、その想念を知ることに尽きる。

→今日も暑い一日であった。ようやく夕刻近くなり、少し雰囲気が和らいできた。

 


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