2004年7月20日(火)   <<BACK>>
【閑話】
 映画「夕映えの道」

  フランス映画「夕映えの道」を観た。舞台はパリの下町にあるルトレ通 りである。小さい広告会社を経営する中年の女性イザベルが、ちょっとしたきっかけで老婆マドと出会い、彼女を介護していく過程を描いたものである。 この映画は淡々とした流れに終始し、決してドラマティックな展開があるわけではない。キャメラワークもとてもうまいとは言いがたい。しかし、伝えたいことをキチッと観客に伝えるという点では成功している。この映画を「うまい」「へた」に分けることは難しいし、このように分けること自体がナンセンスのように思える。
  イザベルはアパートの小さな部屋で独り住まいするマドを放っておけなくなり、介護に関わっていくが、老人特有の「癇癪」「他人へ依存することの拒否」に振り回される。そうしながらも次第に打解けていく。マドがイザベラに語る人生はそのまま、観客の私達に伝えられる言葉でもある。生活に困窮し子供にミルクを飲ませ自分は水で我慢したり、食べ物がなく、公園に行き鳩の餌であるパン屑を拾ったりと、ほとんど光りのさすことがない人生が語られていく。 マドの体調が悪くなったので、イザベルはかかりつけの医師に連れて行き、検査を受けさせる。その結果 、マドは癌にかかっており、数週間の命であるとイザベラは医師から告げられる。
  春のきざしが感じられる晴れた日、イザベルはマドを外に連れ出して散歩する。ベンチに座り、たわいない話をしていたが、突然マドは黙りこむ。イザベルはマドを覗きこんだ。
  イ「どうしたの?」
  マ「今が一番幸せ」
  イ「あなたの幸せは私の喜びだわ」
  その時、マドの目からとめどもなく涙があふれ、頬を伝った。
 
  ここで映画は終った。
  一体何が大切で大事にしなければならないのか、それはその人の心の深部にあり、物指しでは計ることはできない。この映画は忘れていたものを呼び起こしてくれたようだ。

→公園のベンチは、そこに座った沢山の人の会話を聞いてきている。その人たちはどこに行ったのだろう。元気にしているのだろうか?

 


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