2004年7月08日(木)   <<BACK>>
【閑話】
ー夕刻ー

 今、この時をありのままに感じること、これが全ての原点である。 これは〈交差点〉と言っても良く、ここから四方八方に道が延びている。
  人は物事に執らわれると、一つの道をずんずん進んでいく。しかしいつでも、交差点に戻れるようにしておくことが必要だ。交差点は「ニュートラルな状態」と言ってもよいだろう。この状態が自分自身をコントロールすることができる地点と言ってよい。さまざまな智慧が出るのもこの所にいる時である。
  決して、道の向こうにすばらしい世界があるからと人に誘われても、ニュートラルの状態にすぐ戻れない所まで行ってしまってはならない。 自分の心を制御できるのは自分しかないわけで、そのためにも、自分を忘れてしまわないことが必要だ。 自分の心を寂静の状態に導くための「瞑想法」や「呼吸法」を細かく言う人がいるが、そのやり方が気になる人は、その方法については何も考えない方がよいだろう。目的や計画を手放してしまった時にこそ、「何も無い状態」が訪れるからだ。この「何も無い状態」は、種々雑多なモノに囲まれている私達にとって、本当に貴重なものである。
  一日の中で大きな変化を目の当たりにするのが、早朝と夕刻である。両方とも「静けさ」と「変化」を併せもつ。早朝の太陽が昇る前は清々しさを、そして昇った時は力がみなぎっているように感じる。夕刻は日が沈む前の30分からが大事な時間帯だ。むしろ朝より印象深い。そこには全てを包み込む優しさがある。夕刻は「真理」を顕しながら、少しづつその濃度を深めていく。やがて暗くなるとおやすみの時間がやってくる。「さよなら!友よ!また明日」と。

→ほんの数十分のことであるが、夕刻には真理が顕われる。 ほかのことで心がいっぱいになっていないのなら、真理は私達の内部に浸透してくる。

 


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