2004年5月19日(水)   <<BACK>>
ブッダが語ったこと-4
ー名称と形態ー

 「スッタニパータ」を私は原始仏教と言っているが、人によっては初期仏教というように言う人もいる。研究者がいろいろな角度から、古層にある経典類は何か調べ、このスッタニパータ、そしてダンマパダ、サンユッタニカーヤなどが該当する、ということで大体において意見が一致している。特にスッタニパータの第四章、第五章は古いとされている。
  この第四章、第五章には概念用語のような名称が用いられていることは極めて少ない。現在、仏教の思想の中心とされるものに「縁起観」「中道」「八正道」「十二支縁起」などがあるとされるが、スッタニパータにはそのような用語を見い出すことはできない(「縁起」については一ケ所だけ使われている)。
  これは何も「縁起観」や「中道」に相当することがスッタニパータの中では説かれていないというのではなく、説かれてはいるが、そういう決まった用語は使われていないということである。
  「これは最初は素朴な対話形式であったからだ」という人もいるが、むしろブッダがそういう名称をつけることを意図的に避けてきたからである。これはスッタニパータそのものの中に説かれていることでもある。

 1100
 バラモンよ名称と形態に対する貪りを全く離れたものには、
 諸々の煩悩はない。人は煩悩によって死に支配されていく。

  ブッダが生きていた当時、さまざまな思想家がいて議論されたことが知られている。そういう議論は言葉に依存し、言葉で世界や真理を表そうとする。そういったことに対する、明らかなる批判がブッダにはある。なぜブッダがそういう決まった言葉(名称)を使わなかったのか、上記のスッタニパータからの引用で容易に分かることである。

 834
 さて、あなたは心に偏見をもって、
 思いめぐらしてやって来た。
 煩悩を払い去った人(私=ブッダ)と一緒に
 軛につなごうと来たのだが、出走させることはできない。

  ※824からの続きで、ここではパスーラがブッダを論争の舞台に乗せようとしていることを、馬(ブッダと自分)を軛につないで競争させようとしていることに例えている。

  ブッダの死後、弟子達はブッダの法を残すべく、ブッダの教説を「名称」として、生活指針を「戒」としたのだ。こういった弟子達の方向はブッダが示す内容に反するものである。しかしカリスマであるブッダが亡くなった後、修行集団をまとめるためにはそのような方向しかなかったのであろう。

→5月は花の季節である。道端の花が道行く人の目を楽しませてくれる。

 


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