2004年4月9日(金)   <<BACK>>
「開放感」より「解放」へ(2)

 50%とか80%の解放を「解放」とは言わない。自分を解放させようと思ったら、解放を妨げる自分の中のものをよく見つめることだ。自分を解放させない「こだわり」は何かということを探すことだ。「こだわり」に至った原因、あるいはきっかけ、とそのプロセスをよく観察思索して、ありのまま知ることを行う。
「観察する」とは、正面から自分に向き会うことでもあり、このことで「こだわり」の半分は消える。まるで「心」が自分のまなざしを待っていたかのように。 しかし、これに満足せずさらに「観察」を続ける。

 「解放」というと、「解放のイメージ」をもちたがる人もいるだろう。 イメージは具体的に進む目標を指し示すことにつながるが、スタート時点で完成イメージをもてば、やはりそのイメージの結果 しか得られない。それは解放ではなく、限定された別の世界を実現することになってしまう。必要なことは〈観察〉によって、イメージというべき〈想念〉を消滅させることである。

→「桜トンネル2号」
1号、2号、3号と私は命名している。1号は今はないが、子供の時から春になると、家族でその下を通 るのを楽しみにしていたものだ。下を通る直前のワクワク感、そして通 る時の充実感、これに代わるものは少ないと今でも思う。1号は道路のアスファルト化と共に、枯れてしまった。 不粋な行政の犠牲になってしまったのだ。


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